東京高等裁判所 昭和41年(ネ)1478号 判決 1968年5月31日
控訴人 昭映フィルム株式会社
控訴人 株式会社中映(旧商号 中映フィルム株式会社)
右両名訴訟代理人弁護士 野島豊志
被控訴人 株式会社平和相互銀行
右訴訟代理人弁護士 小林宏也
同 永井津好
同 川瀬仁司
主文
原判決を取消す。
被控訴人の請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
事実
<全部省略>
理由
一、被控訴人の請求原因事実は当事者間に争いがなく、この事実によれば控訴人昭映は裏書人として、控訴人株式会社中映は振出人として各自被控訴人に対し本件手形金八一万五〇〇〇円およびこれに対する満期の日である昭和四〇年三月五日から支払ずみまで手形法所定年六分の利息金の支払義務を負ったことが明らかである。
二、控訴人昭映が昭和三九年一二月一九日当時被控訴人に対し、控訴人昭映またはその代表者荒木俊夫個人の名義で預金または掛金をしていた合計五七五万四五〇八円および控訴人昭映が取立を委任し被控訴人が取立てて受領していた手形金三三万八八四五円、以上合計六〇九万三三五三円の債権を有していたことは当時者間に争いがない。控訴人昭映は右の債権を自動債権とし、第一項の本件手形金債権を受働債権として、本訴において対当額で相殺すると主張するのに対し、被控訴人は、控訴人昭映の被控訴人に対する上記六〇九万三三五三円の債権は、すでに、被控訴人主張の相殺により、一万二七七四円を残して消滅した旨抗争するので、以下これを判断する。
(1) 被控訴人が昭和三四年八月一〇日控訴人昭映と結んだ手形取引契約に基き同控訴人の裏書ある約束手形を割引き、前記昭和三九年一二月一九日当時、被控訴人は同控訴人の裏書した原判決別紙第一目録約束手形一覧表記載の約束手形二六通(この手形金合計一一二八万一六五九円)を所持していたことは当時者間に争いがない。
(2) 被控訴人は、控訴人昭映との間の手形取引契約に基き、同控訴人に対し右割引手形の買戻請求権を取得し、これを自働債権として原判決別紙第二目録記載のとおり三回に亘って相殺をしたと主張するのである。
そこで本件手形取引契約において買戻請求権についてどのような約定が結ばれたかを見るに、成立に争いない甲第二号証の一手形取引約定書には、
第一条 拙者が手形借入又は手形割引を依頼したときはその都度手形金に相当する借入金債務を負担したものとして、爾後貴行より手形又は貸金債権の何れによって請求されても異議ありません。
第三条 左の場合においては拙者が貴行に対し負担するすべての債務につき弁済期が到来したものとし、拙者及び保証人の貴行に対する預金、掛金、積金、その他の債権と弁済期にかかわらず相殺せられても異議なく、又担保物件は法律上の手続によらないで任意処分し債務の弁済に充当せられても異議ありません。これらの場合債務全額を弁済するに足りないときは弁済充当の順位方法等は法定の順序にかかわらず貴行の定めるところに従い且つ不足額は御請求次第直ちに弁済致します。
(一) 本約定その他貴行本支店との他の一切の取引約定に違背し若しくは貴行に対する各債務中その一にても履行を怠ったとき。
(二) 拙者又は保証人につき仮処分、差押又は仮差押の申請、支払停止、破産若しくは和議の申立のあったとき。
(三) 拙者又は保証人が貴行に対する預金、掛金、債金を貴行の承認なく他に譲渡し又は質入したとき。
(四) 拙者又は保証人が手形交換所の不渡処分又は警告を受けたとき。
(五) その他貴行が拙者又は保証人において債務を履行し得ないおそれありと認めたとき。
拙者の裏書した手形の支払人につき前項の事実があったときは御請求次第買戻致します。若し不履行の場合には手形期日前でも債務不履行の場合に準じ御取扱されても異議ありません。
第五条 手形の支払期日に支払がなかったとき又は期限の利益を失ったときは爾後元本百円につき一日金五銭の割合で損害金を支払います。
第六条 手形に要件の欠缺があったとき又は手形上の権利保全手続に欠缺があったときでも拙者は手形面の金額及び之に附帯する利息損害金その他の費用を異議なく支払います。
などの諸条項が記載されている。
ところで、本訴において被控訴人の主張する手形買戻請求権は、割引手形が不渡になったとかその振出人に信用の悪化喪失などの事実が生じたという場合ではなく、裏書人であり割引依頼人である控訴人昭映が昭和三九年一二月一九日銀行取引停止処分を受けて倒産した(この事実は当事者間に争いがない)ことを原因として前記の手形取引約定に基いて発生する権利を主張しているもので、この場合満期が到来しているかどうかにかかわらず控訴人昭映が割引依頼をしたすべての割引手形について認められる買戻請求権だというのである。
なるほど手形割引において、割引人である銀行としては、割引によって支出した金銭の回収に万全を期するためにはどうしても割引依頼人の信用を重視するのが自然であろう。したがって、手形振出人に信用悪化の事実が認められない場合であっても、割引依頼人が銀行取引停止処分を受けて倒産したような場合には、当該割引依頼人の依頼にかかるすべての割引手形について割引銀行が割引依頼人に対し買戻請求権を取得すると特約することは、充分な合理的根拠があると考えられ、それ故石の如き特約の存在が認められる場合、これに応じた効力を与えるべきことはいうまでもないことである。しかし本来手形の裏書人であるにすぎない者は、振出人が満期に確実に支払をするならば、手形所持人に対してはなんらの債務も負うものではない。また、裏書人の信用悪化によって特別の遡求義務が発生するというような手形法上の定めはもとより見当らない。したがって被控訴人の主張するような前記手形買戻請求権の発生を肯定するためには、当事者間にその旨の特約の存することが必要であって、なんらの特約もないのに当然にその発生を肯定するわけにはいかないものである。しかも、その特約は、個々の不渡手形の買戻請求に関するものと異なり、手形取引契約全体を解消に向かわせるという重大な影響を持つものであるから、当事者間においてもその発生や効果についての要件などを明確にしておく必要があるといわねばならないし、また必然的に割引依頼人の他の債権者など第三者との関係をも考慮しなければならないから特約の趣旨は一層明確に規定される必要がある。
ひるがえって本件当事者間の手形取引約定を検討するに、前記の各条項(たとえば第一条中手形割引の場合にもその都度手形金に相当する借入金債務を負担したものとして爾後貴行より手形又は貸金債権の何れによって請求されても異議ないという条項や、第三条第一項の期限の利益喪失約款など)が、あるいは上記の買戻請求権に関する特約を定めたものであるとか、これらの条項がその特約を包含しているものであるとかとする見解もないではなかろうが、本件当事者間の手形取引においては手形割引だけではなく手形貸付の取引をも予定されていることが前記約定書の第一条により明らかで、右の第一条や第三条第一項の文言なども手形貸付の場合を考慮した規定で本件の如き買戻請求権を規定した趣旨ではないと解することもできるし、また第三条第二項において手形の支払人に信用喪失の事由があったときの買戻請求についての明示の規定をおきながら第一項にはことさら買戻の文言が用いられていないことに留意するなどするときは、本件の手形取引約定書の規定から被控訴人主張のような買戻請求権に関する特約の存在を肯定することは無理というべく、そうして証人池谷久三の証言その他本件に顕われた全証拠を総合しても、被控訴人と控訴人昭映との手形取引契約においては、手形買戻請求権に関して上記約定書の各条項以外に格別の明示の特約が存在するとは認められない。
結局、本件当事者間における以上見た程度の手形取引約定においては、被控訴人主張の買戻請求権が前に示した程度に明確に特約されたと認めることは困難であるというほかはない。
(3) もっとも、本件当事者間の手形取引契約において明示的な特約が存しないとしても、被控訴人主張の手形買戻請求権に副う銀行取引上の慣習が存在するとすれば、その慣習が本件の手形取引契約の内容となりうる余地がある。そうして従来多くの学説判例によって手形割引における買戻請求権の慣習の存否が論じられているところであるし、また昭和三七年全国銀行協会連合会より銀行取引約定書ひな型が公表されて以来多くの銀行がこれと同趣旨の約定書を採用するようになり、そのひな型の中には被控訴人が主張しているのと同様の要件内容の買戻請求権の規定が明記されるに至ったことは公知の事実に属する。しかしながら、本訴においては、昭和三四年八月一〇日に結ばれたという被控訴人と控訴人昭映との手形取引契約において、被控訴人の主張するような手形買戻請求権に関する慣習が存したかどうかについてはなんらの主張も立証もないし、その頃においてそのような慣習の存在したことが公知であるとか当裁判所に顕著であるとかいうこともできない。
三、以上のとおりで、被控訴人主張の相殺の自働債権の発生は、少なくともその主張の第一回相殺のうち満期未到来の手形(原判決別紙第一目録15、16、21、24、26の手形で、この手形金合計は二六七万円である)の買戻請求権に限ってみてもこれを肯認し難いものといわねばならず被控訴人主張の再抗弁は失当で、控訴人昭映より被控訴人に対する前記第二項認定の自働債権は少なくとも本件手形金額を超えて残存するわけである。したがって、控訴人昭映の主張する本訴における相殺は有効で、これにより控訴人昭映が被控訴人に対して負う第一項認定の本件手形の償還義務は消滅し、またこれにより控訴人株式会社中映は被控訴人に対しては本件手形金の支払を免れうることとなり、被控訴人の本訴請求はいずれも理由がないことに帰する。
四、よって、被控訴人の請求を認容した原判決を取消したうえ、被控訴人の請求を棄却する。<以下省略>。